1月19日は車好きなら誰もが知っている名車「フォルクスワーゲン・ビートル」(正式名称はタイプ1)の販売が終了した日です。
ビートルと言えば「古い車」のイメージが根強いですが、実際には2000年以降も新車で生産が続けられた超ロングセラー車なんです。
その生産は1938年に開始され、1941年に販売開始。
そこから2003年まで62年間の長きにわたり生産・販売が続けられました。
特に1970年代まではフォルクスワーゲンの主力車種として30年以上販売が続けられました。
「あれ?タイトルには40年ってあるけど?」と思われたあなた。詳しくは後述します。
その構成は極めてシンプルです。
エンジンは空冷の水平対向4気筒エンジンをリアに積んだポルシェ・911と同じRR方式を採用しています。もちろんキャブレター。
このビートルがポルシェ・911の原型になっているのは有名な話です。
エンジンはバイクで言うところの空冷とは異なり冷却ファンやオイルクーラーが備わっており、いわゆる油冷に近い構造となっています。
全長は4mを超えており、意外かもしれませんが現代の軽自動車よりずっと長いです。
更に全幅も1.5mを超えており軽自動車に比べるとちょっとだけ幅広です。
車重は初期のモデルでは730kg、車幅や装備が増えた900kgを超えています。
当初はクーラーどころかヒーターすら装備されていなかったものの、後年追加されています。
ヒトラーとは関係があるようでちょっとズレてる
フォルクスワーゲン・ビートルといえばヒトラーの作った車という印象が根強いです。
確かにヒトラーはビートルの開発を後押しをしたものの、そのアイディアや生産・販売にはあまり関わっていなかったのです。
まず始めに、ビートルの構想は現在のポルシェの創業者にあたるフェルディナント・ポルシェにより「優秀な小型大衆車」として考えだされました。
当時のフェルディナント・ポルシェは自動車の設計業を営んでおり、いくつかの設計案を実現させようとしていましたが予算やメーカーとの折り合いがつかずに実現させることが出来ずにいました。
そこに声をかけたのが首相であったヒトラーです。
ヒトラー自身も自国の発展のための政策として「優秀な小型大衆車」の開発を望んでおり、そこで思惑が一致しました。
ヒトラーはフェルディナント・ポルシェの案に対していくつかの条件(丈夫で壊れない、維持がしやすい、安いなど)を付け加えて設計を進めさせました。
いくつかの試作車とテストが繰り返され、ようやく生産が始められるという時に第二次世界大戦が勃発し、ビートルの生産は開始されないまま敗戦を迎えることになりました。
敗戦後、壊滅的な被害を受けたフォルクスワーゲンの工場は、イギリス軍将校によって管理されるようになりました。
このイギリス軍将校「アイヴァン・ハースト」はフォルクスワーゲン・ビートルの設計を見て将来性を感じ、工場の再建を急ぎました。
同時期、BMWはソ連の手に渡り赤いBMWバッチを付けた車を生産したりしていたわけですが、フォルクスワーゲン・ビートルはその特異な設計故にどの国からも収奪されることなく難を逃れていたわけです。
工場が再建され、生産が再開されたフォルクスワーゲン・ビートルはその高い基本性能により急速に販売を拡大させていきます。
大人4人を乗せて走行でき、100km/h巡行が可能、故障は少なく修理も用意であり、部品も安価に製造可能と大衆車として当時の水準で言えば突き抜けた存在だったわけです。
こうしてみると、ヒトラーが関わっていたのは設計から試作までの主に資金面のみということになります。
もちろん設計のすばらしさ故に、後に60年以上の長きにわたった生産・販売が続けられたわけですから、ヒトラーの車と言われるのも一部否定はしがたいところではあります。
40年で終わりを迎えたビートル
1938年に生産・販売を開始したフォルクスワーゲン・ビートルは1978年に一端終わりを迎えることになります。
当時としては既に時代遅れとなっていたユーティリティ性能や排ガス性能、騒音など多くの問題がありましたが、特に大きな要因となったのは環境性能と安全性能と言われています。
1930年代に開発されたエンジンをそのまま使い続けてきたわけですから、環境性能は言わずもがなですが、安全性能に関してはフロントに搭載されるガソリンタンクが特に危険視されていました。
また、当時既に販売が開始されていた前輪駆動のフォルクスワーゲン・ゴルフが大きな成功を収めており、特に先進国においてはビートルの需要が急速に衰えてきていました。
このような影響からビートルは1978年をもってドイツにおける生産を終了することとなります。
40年に渡る長い歴史の幕が下りたわけです。
2003年まで生産され続けたビートル
40年に渡る長い歴史の幕が下り、その後22年に渡って生産が続けられたのは主に新興国のためです。
既に開発・設計コストの回収は済んでおり、純粋に安くて信頼性の高い大衆車を欲している人々にとってビートルは1980年以降もありがたい存在でした。
そのためドイツでの生産が終了した物のメキシコ工場での生産が継続されたわけです。
そうして様々な設計の小変更が加えられつつも、大きな変更はないまま62年という長きにわたり生産が続けられました。
その総生産台数は2152万9464台であり、4輪車としてはトヨタ・カローラに次いで多く生産された車種とされています。
モータースポーツでも活躍したビートル
ビートルはその大衆車然としたイメージとは裏腹にモータースポーツでも活躍しています。
当時としては優秀で、改造も容易な設計が功を奏したといわれています。
その活躍の幅は広く、直線距離での加速や最高速を競うドラッグレースからフォーミュラーカーレース、バギーに改造されてラリーレースやオフロードレースにも出場し、優勝した記録が多数残されています。
現在でも一部のファンが大事に維持を続け、またカスタムのベースとしても愛され続けています。