今「ノロノロ運転」が話題です。
少し前は「あおり運転」が話題に上がりましたが、その発展形ともいえる形で制限速度を著しく下回る速度で走行する「ノロノロ運転」が話題になっています。
しかし、ここで単純な疑問が生じます。
道路上を走る多くの車が制限速度を超え、違反行為を日常的に繰り返しているという点です。
例えば50km制限の道路を50kmで走行してみてください。
私はクルーズコントロールやスピードリミッター機能を利用して厳格に速度を守って走行していた時期があります。(今でも速度は守っているけどアクセル操作のみで調整しています)
こうした「正しい運転」をすると半数以上の車は間違いなくそれを超える速度で横を通過していきます。
追い越し禁止区間で追い越されることも珍しくありません。
半数で済めば良い方で、自車の後ろをのんびりついてきてくれる車は本当に一握りしかいませんでした。
なぜ、危険であることが公認されている=違反行為である速度超過が全く話題に上がらずに黙認され続けるのでしょうか?
むしろ多くの道路では違反にあたらないノロノロ運転が話題に上がるのでしょうか?
物珍しいかどうかがメディアと大衆の判断基準
あえて疑問を投げかけてみたものの理由は明確だと思っています。
結局のところ「騒がれる」あるいは「バズる」ものというのは物珍しさが重要なんです。
そうしたものをメディアは取り上げるし、大衆も注目します。
道路上の9割9分(言い過ぎ)が速度超過をしており、どんな温厚な紳士も、物腰柔らかい婦人も速度超過を当たり前に、日常的に繰り返している日本の道路交通事情を鑑みれば速度超過なんて「当たり前」で「普通」のことなんです。
日本のメディアが軽微な速度超過を取り上げるということは、今日も空に雲が浮かんでいることを取り上げるようなものです。
おそらくメディア関係者だって日頃から速度超過をしているだろうし、それを見る視聴者たちだって日頃から速度超過をしているでしょう。
そのうえで、ノロノロ運転やあおり運転を取り上げて批判したりもするのです。
なんとも愚かしい話です。
正しいことをする人が1人でも増えればいいな
このように、小さな罪や小さな悪というのはみんながやっていればもはや悪ではなくなります。
速度超過をしている多くのドライバーは、自分が違反を犯し周囲に危険をまき散らす悪質なドライバーだと認識していないでしょう。
車が容易に人の命を奪うことができる凶器だと認識していないでしょう。
だって「みんなもやっているから」。
だからこそ、今こそ自分の運転を見直して「正しい運転」をする人が1人でも多く増えてほしいと思っています。
「正しい運転」をする人が少なければ、「正しい運転」をする側が嫌な思いをする機会が増えます。
逆に「正しい運転」をする人が増えれば、より快適になる一方で「悪い運転」をする側は運転がしづらくなります。
車が危険なものであるという認識を改めて持ち直し、安全運転を心がける人が1人でも増えてくれることを願っています。