ドリリウム

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こんにちは。カタミチ(@katamichi2h)です。

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好きなコーヒーってどうやって説明するの?

Café

私は大のコーヒー好きで、かれこれ20年以上はコーヒーを愛飲しています。しかし、「どんなコーヒーが好きか?」と聞かれると答えに窮してしまうのです。

コーヒーの味

はじめに、コーヒーというのは味の幅が恐ろしく広いものです。

品種や産地だけでなく農園の位置や標高、生産者、その年の気候、収穫後の精製・選別処理、流通経路・業者など多くの要素が関係しています。多くのコーヒー豆は先進国では作られていません。これがどういうことかと言うと、グレーディングがあろうとも生産管理は甘く、流通に関わる機関もその質を信じ切ることはできません。つまり、同じ豆を買ったつもりでもロットが違うと味が違うことが珍しくありません。「今回仕入れた分は当たりだったね」という世界です。

それがカサ増しなのか混ぜ物なのかはわかりません。しかし、事実として同じ年に同じ業者から同じ豆を仕入れた場合でも、ある時期を境に味がガラリと変わることがあります。そうすると当然お客さんに出せたものではないですから、私も馴染みのお店で閉店後に飲ませてもらったことがあって、これが素人でもわかるほどの違いでした。

 

さらに、豆を仕入れた後の焙煎の度合いや焙煎後の選別、挽き方と程度、そして抽出の方法によっても味は全く別物になります。煎ってからの経過日数や挽いてからの経過日数ももちろん影響大です。ここは、各コーヒー店がこだわりぬいているポイントであり、その一方で店の良し悪しが出やすいポイントでもあります。

 

これらすべての要素はすべて些細なものではなく、いずれかの要素が変わっただけで明確に味は変わってしまうのです。

店が変われば味は変わる

だから、当然ながら店が変わると味は変わります。

大抵の店では豆の産地や種類と焙煎の程度しか選ぶことができません。その他の多くの要素はお店に任せられているわけです。

結果として、例えばブラジルの浅煎りを頼んだとしても、店によって味は全く違うことになります。奇跡的な確率で似ていることはあっても、99.9%は全く別の味になるでしょう。些細な違いではなく、全くの別物です。私はコーヒー好きと言っても、繊細な舌を持ち合わせていません。化学調味料も大好きです。それでも全くの別物と感じられるほどに差が出るのです。

 

私は約半年ほど前に地方に移り住んだ経緯があります。

当然、転居後に美味しいコーヒー屋さんを見つけようと現在進行形で努力しています。しかし、半年経ってなお美味しいと思えるお店に一軒も出会えていません。地方では競争が働かないため、ある程度は仕方がありません。そもそも喫茶店(ほぼ個人経営のファミレス)はあっても、コーヒーに力を入れているお店自体が少ないのが実情です。必ず良いお店があるはずだと信じていますが、今は仕方がないので転居前にお世話になっていたお店に豆を送ってもらっています。

美味しいか美味しくないかしかわからない

よくコーヒーの味を表現する時に、苦味や酸味、えぐみ、雑味といったワードが使われます。

例えば酸味なんて、多くの人がえぐみと混同しています。雑味は非常に繊細で少しでも多すぎたり少なすぎたりすると好みから外れたりするでしょう。苦味や酸味も当然ながら程度が重要です。すべて単体では語ることが出来ず、それらの絶妙なバランスこそ重要です。カレーだって甘口や辛口と言っても甘みと辛みのバランスがあってこそ美味しいわけで、甘味しかないカレーは美味しくないでしょう。

だから「酸味のあるコーヒーが好き」と言ったところで何一つ伝えることができないのです。「酸味のある」をどう捉えるか?その幅が広すぎるわけです。

コーヒーの味は多くの要素とその程度が複雑に絡み合いすぎて、とてもではないけど言葉で表現することは不可能に感じてしまいます。

 

だから、結局のところ20年以上コーヒーを愛飲していて、最終的にわかるのは美味しいか美味しくないかだけなのです。有名なバリスタが選んだ豆だろうと、好みに合わなければコンビニのコーヒーと変わらないわけです。新しい店に行ったら、とりあえず適当に何か頼んでみるしかなく、「こんなコーヒーが好きだからおすすめをお願いします」というわけにはいかないのです。

好きな豆に出会えた奇跡

コーヒーの味がそこまで複雑怪奇で多種多様なものだとしたら、一生美味しいコーヒーに出会えない=好みのコーヒーに出会えない人が居てもおかしくはないと考えています。

私が今も飲み続けているお店に出会えたのは奇跡のような確率だったと思います。逆に、そうしたコーヒーに出会えたからこそ今まで飲んでいたコーヒーを客観的に認識できたように思います。私のコーヒーの基準がそこで初めて確立されたわけです。それまでは、コーヒーの奥深さを真の意味で理解できていなかったし、コーヒーへの探求心も浅いものでした。(今でも浅いけど、前よりは深くなった)

これに出会ってしまうと、他のどんなコーヒーを飲んでも心の底からおいしいと感じることができなくなります。美味しいコーヒーがあっても、好みの味ではないなと理解でき、自分の中できちんと評価ができるようになるわけです。逆により美味しいコーヒーを見つけた場合もきちんとそれを理解できるようになるわけです。だから、コーヒー好きには心の底から美味しいと思えるコーヒー屋さんを探してほしいと思う反面、それを勧めるのが無責任なほど困難なことだと知っているつもりです。

コーヒーの味が説明しつくせないものであるということは、好みのコーヒーを探すには手当たり次第に店を回るしかないということだからです。

好きなコーヒーってどうやって説明するの?

ここまで説明した通り、コーヒーの味というのは多種多様で、一概に品種や産地あるいは焙煎度合いだけで語れるものではありません。だから、好きなコーヒーを説明できる人がどういう前提で好きなコーヒーを説明しているのかわからないのです。

内心は私と同じ心境だけど、この記事で説明したような前提を語ると長くなるから、苦慮して適当なその場しのぎの言葉を発しているだけなのか、あるいはそうではないのか?そして好きなコーヒーを聞いてくる側も一体全体どういう心境でそれを聞いているのか?

コーヒー屋さんではこうした話題が時折出てくるし、普段の会話でもコーヒーが好きであることを話すと、こうした話題に行きがちです。こうした話題が出ると私はとても困ってしまうわけです。

 

世の中のコーヒー好きがこうした話題をどう乗り越えているのかとっても気になるという話でした。