保育士・パンプス・転勤。
これらはごく最近見かけた記事からピックアップした共通点ある3つです。
何かと言うと、要するに「仕事への愚痴」あるいは「待遇改善の要望」です。
もちろんこれら3つ以外にも、数えきれないほどの事柄がピックアップされては、
- ブラックだ
- ハラスメントだ
- 待遇が低すぎる
なんて言われてきました。
おそらくこれからもどんどん新しい事柄が槍玉に上がるでしょう。
改善を進めるのは良いことだし、声を上げることも悪いとは言いません。
しかし、そんなことをしていると人生無駄にするよ?ということを言いたいです。
待遇が低いんじゃなくて価値が低いんじゃない?
市場に生まれて間もない職種や新たなジャンルを除けば、多くの仕事は価値に見合った対価が支払われています。
価値の低い仕事は低い対価が支払われ、価値の高い仕事には高い対価が支払われます。
これはどこかの偉い人が決めているのではなく、我々消費者ひとりひとりが作り出すものです。
給与が安いと声をあげている人も、普段の生活のなかで商品を比較検討し、結果としてどこかの誰かの給与を下げています。
消費者は欲しいものがある時、高いと思ったら買い渋ります。
安いと思ったものは買います。
作り手も、売れなければ食べていけないし、安く売りすぎても利益がでないからやっぱり食べていけません。
だから消費者が高いと感じたものの値段はいずれ下がります。
もし限界まで下がっても消費者が高いと感じる商品は、もはや価値のないものです。消えてなくなるでしょう。
(商品に付加価値をつけるという選択もありますが、これはおいておきましょう)
こうした小さな1つ1つの積み重ねにより、段々と「価値」が決められていきます。
ただし、需要が増えすぎれば価値以上の対価が支払われ、逆に供給が増え過ぎれば価値未満の対価しか支払われません。
経済はそのように回っています。
難易度が低く、替わりはいくらでもいるような仕事は自ずと価値が低くなります。
利益を出せない仕事は価値の低い仕事の筆頭です。
待遇が低いということは、価値に対して対価が低すぎるということです。
あなたが生み出す利益に対して給与が低すぎるということです。
もし、そもそもあなたが生み出す利益が低い場合には、待遇が低いのではなく価値が低いということです。
大抵の場合、待遇が低いと嘆く職種は価値が低い職種です。
つまり、いくら声を上げたところで待遇は改善されません。
もしどうしても価値の低い職種にこだわりながらも、高い給与を得たいのであれば、自信で新たなビジネスモデルを構築するしかありません。
スーパーのレジ打ちで月50万円ほしいのであれば、それが実現できるスーパーの新たな形を模索するしかないのです。
それこそ税金が投入されるとか、経営者が無理をするとか、誰かが損をする形であなたの給与が上がるのが関の山です。
もし待遇が低いのではなく価値が低いのであれば、利益を生み出しましょう。
待遇改善の声を上げるのはその後です。
そもそも価値が低い仕事に望んで進んだのであれば仕方がありません。わかっていたことでしょう。
パンプス履かない仕事はしたくないの?
パンプスを履かなければいけない仕事があります。
これはパンプスに限ったことではなく、服装に規定のある仕事は多いです。
必要性があることもあれば、必要性に疑問が持たれるものもあるでしょう。
更に言えば、服装に限らず世の中には様々なルールが存在します。
転勤もその一つです。転勤が必要なビジネスを行う会社も存在します。
しかし、あなたには選択の自由があります。
パンプスが嫌ならパンプスを履かなくても良い仕事を選びましょう。
スーツが嫌ならスーツを着なくても良い仕事を選びましょう。
転勤が嫌なら転勤しなくても良い仕事を選びましょう。
簡単なことです。
だから、私にはこうした運動を見てもいまいち理解ができません。
もちろん声を上げて、不必要なルールをなくすこと自体は構いません。
でも、そんな時間の無駄をする前に、そんな嫌な職場やめればいいんじゃないのでしょうか?
もし賛同者が多ければ、自然とそうした職場には人が集まらなくなり、ルールが自ずと変わるか会社自体が消えてなくなるでしょう。
もちろん能力が低く転職を始めとした選択の幅が狭い場合には仕方がありません。
能力を上げるためには努力が欠かせません。
資本主義国家の国民であるのであれば、努力を怠れば不幸になるのは正しい形です。
これほど恵まれた国に生まれて、更に怠惰に生きた結果として不幸になる人は、世界的に見ても誰にも同情されない存在でしょう。
改善されても劇的に変わらないから
さて、待遇の改善に声を上げること自体は悪いことではありません。
しかし、効率が悪くて無駄なのでやめたほうが良いと個人的には思います。
声を上げ続けるには時間がかかります。労力を使います。
その一方で、改善されたとして劇的に改善されることはありません。
なぜなら、現状というのは長い長い過去からの積み重ねによって醸成されてきたものだからです。
大きく改善できる余地があれば、会社としても改善しています。
そうすれば業界で抜きん出た存在になることができるからです。
だから、改善されたとしても大抵はささやかなものです。
だからそんなことに時間や労力を割いている暇があれば、努力をして選択の幅を広げるべく能力を高めましょう。転職するなり、起業するなり、手っ取り早く望んだ形を手に入れましょう。
先ほど説明した経済の基本と同じ話です。
魅力ない職場から人が減り続ければ、会社は変わらざるを得なくなります。
声を上げ続けるよりよっぽど効率が良いです。
保育士について
表題にも含まれている保育士についてです。
保育士の給与が低いのは、簡単になることができるからです。
替わりがいくらでもいるからです。(実際になりたい人が多いかどうかは別問題)
また、対価が低すぎるという問題もあります。
保育士は責任重大な仕事と言えます。
子供の命を預かっているからです。
しかし、その対価はわずか数万円です。
本来であれば、この対価はあまりにも安すぎます。
本来は親が育て、守らなくてはいけない命をたった数万円で手軽に預けているのです。手間と時間と責任を「丸投げ」する対価として数万円は安すぎます。
ただ、料金を上げれば少子化は益々加速することになります。
国が行うべき少子化対策とはまさにココの対策なのです。
人生無駄にしちゃダメだよ
こうした不満に声を上げることがちょっとしたブームになっています。
しかし、ごく一部の限られた例(差別とか政治とか)を除けば、効率が悪く、ほとんど無意味と言っても過言ではないものに成り果てています。
それに気がつけず、声を上げて満足してしまう人が多いように思われます。
こうした活動をすることは、人生を無駄にしているだけです。
限られた人生をより豊かにするためには、努力を欠かさず能力を高め、理想的な待遇や環境を目指し続けるほかにありません。
努力を怠って、低い能力に目をつむって声を上げるだけでは何も変わりません。
何かが変わったとしても、それはただ単に他の誰かの犠牲のもとに成り立っている変化です。
努力と言っても大したことではありません。
わざわざ勤め人として上を目指すわけではなければ、こんなブログだって数万円の利益になります。
色々な選択肢を知ることも努力のひとつです。