日本は「一億総中流」ではなく「総下流」だ
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日本は長らく一億総中流と言われるように、全人口の殆どが中流であり、貧困差が少ないと言われていた。今なおそう言われることがある。
しかし、その実態は自身や同程度の周辺を中流と勘違いした下流に他ならないのではないかと思う。勘違いという言葉が適切かわからない。中流と思いたいだけなのかもしれない。
多くの人が安く密集して量産される長屋じみた建売を買い、軽自動車に乗っている。家具はイケアやニトリの限界まで安く作られた家具を使う。食材は安売りが当たり前のスーパーや薬局で手に入れる。
広々した家にも快適な車にも上等な家具にも趣味にも潤沢にお金は使えない。そもそもこうしたものに縁がないことが当たり前であるから、憧れや興味すら抱かず、上は見て見ぬ振りをして現状に満足していると思い込んでしまっている。プライベートな時間を十分に確保できず、ストレスや過労が当たり前の会社に勤める人も多い。
これが本当に中流だろうか?
ギリギリの現代的な生活を送る彼らは下流と呼んで差し支えないのではなかろうか。